2006年11月5日日曜日

鹿児島県薩摩川内市ではトンボを守るためにブラックバスを1300匹殺したらしい



今朝の日経「ネイチャーウォッチ」。ベッコウトンボという珍しいトンボをブラックバスが食べてしまうというのでこの7月薩摩川内市では外来魚の来放流(リリース)を禁止する条例を施行。9月までの3ヶ月の間に回収箱でブラックバスを1300匹を集めた(殺した)。おかげでベッコウトンボとやらは大いに増えた自然は守られたとエコロ記者は喜々として報道している。胸が悪くなった。

夏からバス釣りを始めたバッサーの端くれの一人として、ブラックバスにはとても親近感を持っている。バス釣りとは漁獲持ち帰りを目的とした釣りではない。バスと遊ぶための釣りだ。猫じゃらしでネコをなんとか誘って「釣って」喜ぶという感覚だ。釣れば勝負は釣り人の勝ち。またおいでと一緒に遊んでくれたバスはリリースする。無益の殺生はしない。

これはとても自然な感覚だと思う。散人は一応仏教徒(真宗)の家庭で育ったから、やむを得ない場合を除いては動植物の命は大切にする。これは日本人の古来からの感覚でもある。滅びかけている動植物があれば、もちろん安全なところに移したりなんかして保護してあげるのはとてもけっこうなことだ。でもそのために殺生をする気にはとてもなれない。いじめられているコドモを守ることは大切だが、いじめっ子を殺していいということではない。

でもブラックバスを目の敵にして撲滅(駆除)に躍起になっている人たちには、こういう感覚は通用しない。自分たちは絶対的に正しいことをしているのだと狂信的に信じきっているから。彼らの信念はゼノフォビア感覚に補強されて、更にエコロと組むことで外国農産物を排除しようと言う農村ご都合主義も加わり、今や地方自治体ベースでの「確信」と化して制度化され、いかなる理性的な議論にも聞く耳を持たないのだ。

不適切な喩えであることは承知しながら言う。ナチのユダヤ人収容所でユダヤ人を大量虐殺した収容所職員たちも同じように「自分たちは絶対正しいことをしている」との確信のもとにガス室のオペレーションをしたのだろうな、と感じる。


追記:仏教の教えに付いてその原典を探したら、次のような説話があった。山形県のお寺のご住職の講話だが、お釈迦様や昭和天皇のお言葉を引いて、なかなか味わい深い。似非エコロたち、これ読め!
住職挨拶: "お釈迦様は、12月8日、明けの明星が光ったときにお悟りを開かれ、 「心あるものも無いものも、同時に道を成就している。草も木も大地もことごとく皆仏となっている。(有情非情同時成仏、草木国土悉皆成仏)」と説かれた。"

この「草木国土悉皆成仏」の心で持って、日本は古来から外来動植物を受け入れてきた。それが日本の豊かで多様性のある自然環境を作った。コメも桃も梅も、鯉(現代コイ)もニジマスもキンギョも、馬もネコも、日本のほとんどの動植物は外来のものだ。ブラックバスも今や完全に日本の自然の一部だ。多くの若者にとってブラックバスこそが「自然環境」ですらある。あなたたちはそれを破壊している。

現代日本には、この種の「思い込み」に基づく過激な「集団の熱情」がとても多いように思われる。

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Posted: Sun - November 5, 2006 at 01:54 PM   Letter from Yochomachi   Science   Previous   Next  Comments (18)

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